Twitterやめたい人のブログ

無遅刻無欠席フル単は夢のまた夢

祖父が亡くなった。

 

心の準備やら覚悟やらそういった類のものをしていたはずだけど、実際そうなってしまうとなんの意味も為さないことを知る。

 

仕事に行ってもなんだかそわそわして、頭のあたりがぼーっとして熱を帯びているのを感じる。

不思議な出来事があったりして、それでなんだか後戻りできないことが本当に起きたんだなと思うけれど、実家から離れた場所に暮らす私は、おそらく明日の仕事終わりに乗る新幹線がぴかぴかの駅に着く頃にようやく実感がわくんだと思う。

 

 

一緒に暮らして、いや、正確に言うと付き合ってから始めて、ご飯支度をふたりでした。

太巻きを作る横で、安く手に入った秋刀魚のすり身を使ってつみれ汁をこしらえた。

手際よく巻かれていく太巻きを見て、やっぱり一緒にご飯支度をするのは嫌だな、と思いながら、それでもその時間が楽しかった。

 

お昼を食べて食材を買い込んで家に帰る車中で、少しうんざりしていた。

この人は生活を共にしたり心の支えあいをするにはいいパートナーだけど、つくづくデートをする相手としては向いていないなと思う。

おかしな話だけれど、この人とどこかに行きたいと思うことがあまりない。今日だってまだ16時前なのに、家に帰ってご飯支度をしてお酒を飲みながらそれを食べて、風呂に入って眠るんだろうなと思うと、なにか別のことに使えたはずの時間を思ってため息が出た。

 

そんなことを思いながら「どこかぶらぶらしたいな」と言う私に「ご飯支度をして待っているから、どこか行ってくればいいよ。TSUTAYAとか図書館とかさ」と言うのを聞いて前言撤回。

義務感だけで、妻の行く先についてまわる夫にうんざりしている女の人は世の中に少なくないはずだ。皆に自慢してまわりたいほど、この回答は100点に思えた。と同時に、無駄遣いできるほどのお金を持ち合わせていないのになんとなくどこかをぶらつきたいという気持ちは消えたし、もっと一緒に時間を過ごさなくては、いや過ごしたいなという気持ちがムクムクと湧いてきた。

 

やっぱりやめようかな、洗濯もしなくちゃないし。と言うと、そうか、と言いながら、キャッチボールでもしようよ、と提案が返ってくる。

それなら、少し散歩がしたいと返して、食材を冷蔵庫に放り込んで、ショルダーバッグをもっと気兼ねなく使えるバッグに持ち替えて、家を出た。

 

近所の公園に、途中でパンを買って鯉や鴨にあげた。公園中の鴨が寄ってきて、ちょっとしたパニックになる。

なんとなく写真を撮って、太巻きを作るのに買い忘れた肝心の海苔を買うのにスーパーに寄った。

缶チューハイを買ってくれて、飲みながら家まで歩く。

 

特別なことや一瞬で体温が上がるような情熱的な出来事よりも、日常の機微やゆっくり流れる時間を大切にしたい私にとって、至極居心地のいい人だ。

デートをするのに相応しい相手じゃないかもしれないけど、こういう時間をとってくれることが有難く、デートに行く!と意気込むのが苦手なのであって、思い出してみればこんな風に日常のなかにある最高なデートは幾つも重ねてきた。

 

なにより食事を大事にしていて、腕前はピカイチなのだから、そこもすごく気に入っている。

 

祖父との思い出を振り返ると、その全てに食がついてくる。マクドナルドのポテト、川よしのうな重、釜飯屋でのお食事会、ハロハロをテイクアウトしたこと、広州の杏仁豆腐、1月2日のラーメン。

 

母には衣食住で意識的に楽しめるのは食だけだよと教わっている。

祖父に紹介したかった気もするけど、会わせたらどんな顔をしたかな。

会わせたことのない大切な人同士が、食の要素で繋がっているのはなんだか少し嬉しい。

 

明日の仕事が終わったら、そのまま新幹線に飛び乗る。

祖父が教えてくれた食の楽しみを、私が選んだ相手とやっているのかもなと思う、こじつけかもしれないけれど。

残されたものが生きていくことってこういうことなのかなと考えながら。

わたしは諦めた。諦めたというか、そうではないものと見なした。

女の子でいること。女の子に世の中が期待すること。にこにこしていて、力が弱くて、穢れがなくて真っ直ぐで。

そんなこと期待してくれなくていいのに、おちんちんがついていないばっかりに、透き通った声に華奢な手指にさらりとなびく髪の毛の記号がわたしについてまわる。

いらないな、と思った。そのどれもがわたしをつくるアイデンティティにはならない。いらない。

19歳か20歳の頃に、女の子じゃないし女子じゃない、わたしは女だと思い込んだ。女の子の記号を拒絶した。

 

どうやら人間、期待している事項を満たさない人物に対して不満が生まれるらしい。整合性のなさを感じるのか、はたまたリズムが狂わされるのか知らないけれど。

悪いけど知ったこっちゃない。御免だよ。女の子の鎧を勝手に剥ぎ取ったわたしは、学生時代は幾分生きやすくなったように感じた。

 

今度は若い女の記号が邪魔する。もううんざりしてくる。

落ち着き払って煙草をふかしている姿はどうやら歓迎されないらしい。

 

わたしもあんたらになんにもハナから期待なんかしてないから、同じ様にしてよと思うけど、全くwin-winじゃない攻防戦は続いていくみたいね。

 

今度の鎧は簡単に脱げるもんじゃない。齢を聞かれたら、30歳ですと答えようか。慰めくらいにはなるのかもしれない。

イメージと実態が乖離しているのかわからんけど、変なイメージを押し付けてステレオタイプに当てはめて攻略しようとされると途端に拒絶反応が出る。

 

漠然とした批判をされるとこちらはどうしたらいいのか、悪気がなくても答えをくれないままに勝手に採点されている気分で不快だ。

 

23歳にしてようやく春が苦手だと認識した。確かに毎年この季節になると嫌な思いをすることが多いなと。

 

 

大学を卒業したとき「やっと自分のケツは全部自分で拭くことを周りが当たり前に期待してくるのか」とふっと気持ちが楽になった。


いまは若い女性という記号がとてつもなく邪魔に感じる。去年の今頃から思っていたけど、日に日に強く邪魔に感じるように思う。それが解決策として正しいのかは分からないけれど、早く年齢を重ねて、そういう視線を向けられるという鎧を脱ぎたい、楽になりたい……

こうあるべきの鎧を脱ぎ捨てたくて

学生として、バイトとして、女性として、若者として、子供として、大人として、娘として。

 

無数の「こうあるべき」に縛られながら生きている。正確には生きてきた。

誰もが無視出来ない他者からの「こうあるべき」という視線。

 

私はこの視線に少々雁字搦めになっていた。少々ではないかもしれない。

与えられた役目を全うすることこそが正しく、正しさこそが人をはかるものさしであると信じて。それ以外の選択肢を持ち合わせていなかったところもあるのだが。

 

私はいま、他者からのこういう視線を全力で拒もうとしている。

人生初の試み。大転換期。初めて自分自身へのまなざしを大切にしようとしているのか。

 

他者からの視線と自分自身へのまなざしに、大きく溝ができたという方が正しいのか。

 

あとのことはもう皆に任せた。私は自分自身へのまなざしを信じて、他者からの視線の鎧を脱ぎ捨てる。

自分以外の人やモノに、前ほど興味を持てなくなっている自分に気付く。

 

なんにも共感できない、反論も生まれない。どこか遠くの国の話を聞いているよう。

 

本当の怒りも悲しみも楽しさも嬉しさも、全てひっくるめてあまり心が動かないなぁ。

 

自分のことで精いっぱいってこういうことなのかな。そんなのもあまりしっくりこないけれど。

追い出されるという緊張感で言えなかったこと

「自分の心の中にあったはずの小さな使命感は、いつしかそこに自分の居場所を作ってくれる。」ってすごくよかったって何人かに言ってもらえたんだけど、本当はもう少し思うところがあるので、ペペーっと。

 

私にとっては、いつもコンプレックスがバシバシに刺激される場所で、

何度も内省して、考えて、苦しんだ場所でした。

コンプレックスを自覚したのも、苦しんだのも、自分と向き合わざるを得ない状況が次々にあったから。何度も何度も、もう見たくないくらいにまざまざと自分の弱いところを見せつけられたからです。

 

それは皆が皆揃いも揃って個性的だからなんじゃないかなというところに行き着いた。

けれど決して、個性的な皆の中から自分とは違う振る舞いのできる人を探しては、彼らに羨望の眼差しを向けていたわけではありません。

自分ができないことを平然とやってのける人に嫉妬心を抱いていたわけではありません。

 

自分ができることを、自分とは違った仕方でやれる人がたくさんいたから。

10の労力を使って目的を成し遂げられる人達の横に並ぶには、私は100の労力を使わないといけなくて、下手すればそれでも足りないくらいでした。

そこで自らに何かを課すんだけど、正直言ってそれが居場所になってくれても、私にはなんの解決にもならなくて。

もがいてもがいてようやく、自分がいつ優勝できるんだろうという疑問から、自分が優勝することを許せる時は来るのかなに変わっていって、すこしだけ抱えるものの本質を捉えられたような気がしている。

 

皆が一様にそうであるかはわからないけど、居場所を探しているのなら、自分の心の中に使命感という拠り所を作れば、それがそこに居場所を作ってくれる。けれどきっと本当に必要なのは自分の外側にある居場所じゃなくって、自分の内側にあるものの投影された外の世界の現象の謎解きなんじゃないかと思う。

 

 

だから居場所なんかとっとと作って、早急に自分の内側にあるものの投影に目を向けてほしいです。私はそれが遅すぎました。

 

問題に気づいたのが遅すぎて、人生の宿題にやっと取り掛かれる22歳の旅立ちに幸あれ~~~~~