Twitterやめたい人のブログ

無遅刻無欠席フル単は夢のまた夢

就活、バイト、学校、卒論のなかで新たに加わった私が考えていかなくてはならないこと。

震災報道のマスコミ批判さなかの就活生です。

取材陣の割り込み給油、マスコミ関係者の殺到によって被災者の自家用車が駐車できない、連日の取材によるストレス、プライバシー保護の観点での問題、報道ヘリの騒音問題……

この手の問題は枚挙に暇がないです。

でもこれらって、本当にこれから震災報道の在り方を考えていかなくてはならないものもあるけれど、一個人の過失だったり、どうにもできないことに直面した際の市民の心理だったりっていうものも含んでいるんじゃないかと思います。

例えば割り込み給油なんか、普通の常識とマナーを持っていたら、そんなことしないでしょう。
それをさもマスコミ全体の在り方を問うかのように批判してしまうのは、少し違うんじゃないかと思います。

無論、この先私が内定をいただき、晴れて一報道人として仕事をさせていただくことになったとき、同じ会社の人間が普通の常識感覚で測るとおかしいことをした場合には、渦中の人物の常識がなっていないだけだ、の一言で片付けられる問題だとは思っていませんけど。

ただの学生としては、少なからずわたしはそう思いました。マスゴミマスゴミって、過激に反応しすぎてるんじゃないかなって。


それから、ひとつ言いたいのは、震災の前では誰もが新人なわけです。新人っていうと少し違うけれど。
経験のないことに直面したとき、人は余裕がなくなります。特に今回の熊本地震なんかに関していうと、九州ってほとんど地震がなかったのに、震度7を観測。余震の多さもものすごくって、ストレスは溜まる一方でしょう。

天災には誰も抗えません。誰かが故意に起こしたものじゃありませんから。じゃあ誰に怒りの矛先を向けるかっていうと、そりゃあ政治やマスコミになるんじゃないかと。

報道ヘリの騒音問題ですが、規制が決まっていて一定の高さより下を飛ぶことはできません。
救助のヘリの邪魔にならないため、騒音対策のためとか理由はいろいろあるようですが。

けれど、けたたましいヘリの騒音に対して、すぐに「報道ヘリだ、マスコミだ、うるさい、ストレス」って言うのは、きっとこの心理で、ストレスや怒りの矛先が他にないから、マスコミに向くんだと思います。

この規制を破っている報道ヘリの存在も、私が知らないだけであるのかもしれませんが。


震災報道の在り方。きっと報道陣は皆、頭を悩ませてます。悩みながら手探りで、批判を受けながら。
確かにプライバシーを考慮しない報道は問題がある。だけど、熊本に行くことのできない私達が情報を得られるのはマスコミのお陰です。
何も知ることができなければ、熊本のこの先は私達の元に届かない。人々の記憶からは消え去り、地震の記憶は風化してしまいます。
そうさせないためにも、現地のいまを伝え続けるためにも、プライバシーに関してはもっと気をつけたり考えたりしていかなくちゃいけない。


今後、人と地域に寄り添って伝えていくことは、震災報道における大きな課題だと思います。


震災報道は終わりません。福島原発廃炉にはこの先35年かかると言われています。
熊本地震だって、いまはまだ復旧復興の話題は、交通網を再開や東日本大震災の経験者からの恩返し支援など数えるくらいなのではないでしょうか。
地震がありました、甚大な被害です、だけじゃ終わらせない。被災地の歩みを伝えていくことは、被災地にとっても、そこから離れた私達にとっても大切なことであるはず。

震災後、東日本大震災被災地で出会った方々はこちらが元気づけられるくらい明るく、何よりも地元を愛する方々ばかりでした。
被災地、被災者というステレオタイプを破って、より多くの人に震災後のいまを、復興の歩みを伝える仕事。わたしはすごく素敵だと思います。

だからこそ、自分が将来立っていたいところにいまいる大人には、彼らの振る舞いで私達をがっかりさせないでほしい。被災者にとっても、視聴者にとっても、そしてわたしたちマスコミ志望の学生にとっても、残念だしがっかりさせられるし憤りを感じます。

立場上いろいろな葛藤はありますが、注目が集まる以上、震災報道の在り方が問われているのでしょう。問われています。もっと考えて、変わらなくちゃいけない部分、課題だらけだと思います。

うまくまとまらないけれど、最近思っていたこと。