わたしの帰りを待つ人はいないけれど、茄子があるから食べきらなくちゃと帰路を急ぐようになった
なんでもやってみなくちゃわからないな、と思う。
やってみなくちゃわからない。
自炊が一週間続いているわたしは、5コマとサークルの間の空き時間の60分の間に、文句を言われながら家に帰る。
靴を脱いですぐに作り置きしてあったおかずをフライパンに移して火にかけ、丼ぶりに移したごはんをレンジでチンする。
面倒くさいから冷蔵庫のなかの副菜をタッパーのままでテーブルに出す。食べかけの漬物もきょうはそのままで出しちゃおう。
お茶も残り少ないから、パックにストローを差して飲み干す。
共感って人間に唯一ある、いわば才能みたいなもんだって教壇で話す教授の話をぼんやり聞いていたけれど、そうじゃないんじゃないの、と思った。
共感している振りをして近づいてきて、食い物にするかのように過去の自分に照らし合わせて、報われなかった思いを成仏させるおかずにしてくるひとよりも、悲しくて仕方がなくって、涙が溢れ出てくるときに寄り添って、言葉がなくとも励ましてくれるペットのほうが共感能力に長けてるよ
結局のところ、共感されたってそうなってみなきゃわからないし、感謝されたって心根のとこがそういうんならぜんぜんうれしくない。
やってみなくちゃわからないんだもの