Twitterやめたい人のブログ

無遅刻無欠席フル単は夢のまた夢

2019年12月末の怒涛の伏線回収

とっても気が合うね、似てるねって言ってた人と答え合わせ。

「必要ある?こういうの」って言いながら、あちらサイドのことを話してくれて答え合わせして、「なんかこれ面白いね」って言葉が聞けた。

他の人じゃなくてよかったよって、心底思った。考えなしで考える前に即行動のわたし、運だけはあってよかったよ。本当にありがとうございました。

 

「やばいよ、緊急事態」で召集がかかった夜。ご飯を食べて緊急事態の話を聞く。最後の最後で小さなサプライズ。「お前やべえな」って言われながら話すあれこれ。

いい距離感を掴める人。底抜けに明るいバカ。たまに会うと元気出る。

 

ハイテンションで馬鹿をして、意気投合して少人数で飲んだ時、案外お互い真面目だよね、今後も会おうよなんて言ってた人と、3年振りの再会。面白いことに会うのは3回目。お酒を入れずに会うのも、ふたりで会うのも初めて。

彼のことを昔から知っていて、私の前職に相手の父親がいるという偶然のご縁で、大学時代最後の最後にやっと会えた、面白いくらいお互い引きのある人。

タイミングの良さが重なって会うことになって、「社会人なってから煙草に手出しちゃったよ」なんて言いながら、近況報告をし合ったけど、近況もクソもない。お互いのこと全然知らないはずなのに、近況報告って面白いね。

縁って面白いなって思えた夜。今後ともどうぞよろしく。

 

ドロドロの数年間に幕を閉じた友人。「怖いくらい幸せ」って言う横顔がとっても綺麗。もともとかわいらしい人だけど、表情が素敵になった。

大人になったねって言いながらする、宴会のあとのくだらない話。すぐにでも会えるみたいに別れたけど、わたしたち昔ほど近くにいないよね。でもその空気感を大事にしたいなって思えた。

 

「一旦解散して、集結してきたよね」「ゆるさ、美しさ、かっこよさを目指していこう」「もう自分らしさを認めて、100%でいこうよ」ってわたしの考えを言語化してくれた人。わたしたち常にどっちかが一歩先をいってて、どっちかが答えを持ってるよね。

12月はいろんなことを聞いてくれて、話してくれた。もう少し頻繁にわたしたち会ってもいいんじゃない?

 

わたしが打ち明けたことで、自分のことも打ち明けてくれた人。一緒に過ごす時間こそ長いけど、そんな話いままでしてこなかったよね。

変わったねって言われるわたしが変わったって言われるようになったのは、あんたの影響だよと思いながら、それは言わない。真っ直ぐで純粋なあんたとたくさんのことができて、わたしは嬉しいよ。

 

共通の友人がたくさんいて、その後わたしのバイト先の常連さんになって、いまの会社にお世話になってから、今年は一緒にお仕事させてもらった人。

縁!縁!縁!って感じですごいなと思ったけど、一緒にしたお仕事を最後に退職してしまって、その後のことはなんにも知らない。

2日前にFacebookでいいねをされていて、申請したから、その後のことを聞いてみたいなと思ってる人。

男の人なのにって言うと、主語がデカすぎるって怒られそうだけど、処世術がすごくて、敵を作ることが苦手そうな人。

この縁もなにか強そうだなと思って、ちょっとワクワクしている。

 

初めてぶつかり合った人。どこか孤独を感じていて、なんだクソ!と思ってたけど、同じように相手にも孤独を感じさせてしまっていたことが分かった。

なにがあっても離れていかないなんて保証は、万物共通でどこにもないけど、別れる時があるとするならば、どちらかが死んだ時なんだろうなって思った。再認識させてくれるタイミングが今だったのは、すごく有難いことだったよ。

 

12月末怒涛の伏線回収につき、少し疲れたけれど、縁って面白いなってすっごく思った。

疲れたけど、昔みたいな疲労感じゃないのは、大人になったからなのかなと思いながら。

 

25歳までに「若い女」の記号を外しても、人として素敵だっていう「なにか」を見つけなきゃないね、って教えてくれた人との縁は途切れたのかなと思いながら。

 

12/17

自分のクローンと出会った。びっくりする程似通った相手。ピタリと当てはまってこれでもかというくらい同じ人。

 

正反対なことは全く持って正反対。私が100なら相手は-100。

 

こんな人っているんだねってびっくりした。あんまりびっくりして同じところをフューチャーできないくらい、本当に驚く程に似通ってる。

 

バッサリ切り捨てるところも、大事なことには正直になれないところも、おしゃべりが得意なようで苦手なところも。

 

自分は家族の中で唯一真面目じゃないんだと言った。私は家族の中で唯一大卒だから、少し違うんだと思ってる。人となりとは関係のないところで、データとして提示されるそういう優劣に対する認識は少し違うかもね。

だって私ただ一人の大卒だけど、家族の中で秀でてるとは思わないもの。

 

自分のことを、矢継ぎ早に話して、きっといつもと違うんだろうなと思うけど、そういうところも似てる。

 

自分をさらけ出せる相手が、世界に沢山いればいいのにね。

12/10

25歳になった。いまの会社に務めて2年目になった。盛岡に暮らして7回目の冬が訪れた。

 

ブログを始めた頃はどうやら家の人と付き合ってすらいなかったみたい。出会ってはいたけど、まさか付き合うだなんて思ってもみなかった。4年半経った。お互いきちんと準備をして、二人用の間取りの物件を借りて丸2年経った。

 

自分のことを割としっかりしていると思っているけど、私のしっかりの範疇は教科書通りで、教科書に載っていることは想定内のことには対応できるけど、イレギュラーに弱い。

正義は正義じゃ片付けられないこともある。教科書通りで育ってきた人間の弱点。いい子は学校に来ない不良と言われる子の気持ちを本当の意味では分かりきれない。

 

私が習ってこなかったことを知っている人はたくさんいるけど、私が習ってきた以外のやり方で問題を解決できる人はそう多くはない(のか、そういう人を知らないのかは分からない)。

 

私の思考の視覚を照らす人。私より私を分かってくれている人。難しいことばかり考える私に、言葉ではない正解をくれる人。

 

 

覚えた言葉を使いたくて、どうにかこうにかその筋道を立てていく。

ここぞとばかりにお飾りのように吐かれる言葉に、一体なんの意味があるのだろう。

 

ほかの言葉と同じように並べられた時に伝わることって、言葉そのものの意味よりも、どうしてもその言葉を使いたくてたまらないという意図が見え隠れする位で、ほかには何か伝わりますかね。

 

形のあるものに興味がないなと思った。大学で勉強してきたことが無意識のうちに自分をかたどっている一要素になっていることを知る。

 

多様性という言葉が多様性という概念を邪魔している。

10/17

火葬と通夜葬式、取り越し法要を終えて、すっかり暗くなった時間帯の駅から新幹線に乗った。

 

現実味のないなかで、葬式、取り越し法要で一気にわあっと泣いてしまった。

祖父の知人が叔父にした話と、長男である叔父がした喪主の挨拶を聞いて、父母妹兄がせわしなく動いたり悲しんだりしている横で、どこかびっとしなくてはという感情の抑制が切れた。

 

新幹線に乗ってもぼうっとしたままで、いつもならすんなりとできる実家のある駅から学生のときから住んでいる街の駅への気持ちの切り替えも上手くいかず、何もかもに取り残されたような思いを抱えたまんまで駅に着いた。

 

家に着いて諸々のやることを手早く済ませて、着替えて布団に入るとすぐに帰ってきた音がして、時計を見て驚く。

暇だったからと早上がりしてきたようだったけれど、他の理由も伺えた。悪いけど甘えさせてもらって、訛りの抜けきらない言葉のまんまで思いつくままに話をした。

祖父のこと、残された祖母のこと、久しぶりに会った従兄弟のこと、母のこと、父のこと。

ぴーんと張り詰めていた気持ちが緩んで、疲れがどっときた。背中が痛くて、いつもだって冷たい冷え症の身体がいつも以上に冷たかった。

祖父の話をして、励ますつもりで自らの祖父母の話をしてくれたんだけど、泣いている私をなだめるうちに自分の祖父母のことも思い出したみたいで、ふたりで泣いてしまって、背中をさすりあった。

祖父には会ったことがないから、上辺の綺麗事を並べられるよりも、自分の祖父母を思って一緒にそれぞれのじいちゃんばあちゃんのことを偲ぶことの方が私の慰めになった。

 

瞬間瞬間で感じきれなかった思いがどっときた。仕事もなんだかふわふわしたまんまでバスを逃して、自分の車で出勤する。

 

家を出る前に慰められてまた泣いてしまった。会社に着いてからもなんだかそわそわして思い出しては涙がこみあげてくる。

 

びっとしなくてはと思いながらも、いま感じなければならない気持ちを感じ通さなければとも思う。

10/14

本当は定時退社して実家に帰る予定だったけれど、今朝思い立って、昼過ぎまで仕事をしたところで半休にして会社を出た。

 

新幹線に乗って3週間ぶりの地元へ。立席でチケットを買って、空いている席に座るつもりでいたけれど、なんだか気が乗らないのと混み合っているのとでデッキでiPhoneを開く。イヤフォンからはiriのWatashi。Facebookを開くと叔父が私と兄家族不在の家族写真を上げている。

 

半休にしたのは思いつき。仕事の目処がついたのと、なんとなくそうしなくてはいけないような気がして。知らせが来て葬儀のスケジュールと勤務表をつきあわせて日程は立てていたけれど、なんとなく決めきれないまんまで今日まで過ごしていた。だけどどこかでこうするつもりでいた気がする。

ときどきこうやって本当はそうするつもりで決めきれずに直前まで決定を先延ばしにすることがある。時間に後押しされないと決めきれない理由はなんだろう。

 

従兄弟や叔父や叔母に会うのは本当に久しぶりだし、皆が最後に集まったのは、もう思い出せないくらいだいぶ前のことだ。

母親が昔着ていた喪服に袖を通し、就職祝いに祖母にもらった真珠をつける。その喪服を母が着ないのはデザインが若いからみたいだ。

 

あと30分で着く。

10/13

明日の仕事終わりに新幹線に飛び乗る。

遅番終わりに帰ってきてご飯支度をしていたら、炊飯器がすっからかんなのに気づいて

早炊きで生米を釜にかけた。

おかずはすっかり準備し終わっていたから、とんだ大誤算だ。

ご飯を食べ終わったら2泊3日の帰省準備もしなくてはならないし、ただでさえ時間のない遅番終わりだ。すこしムッとしたが、そこまで気の回らなかった自分が悪い。

 

喪服に合わせて履く、リクルートの黒いパンプスを靴箱から取り出し、祖母に就職祝いでもらったまんま綺麗にしまっていた真珠のネックレスとイヤリングを準備した。

 

昨晩一口くちをつけたまんまで放置していたグレープフルーツの缶チューハイをそのまま飲みながら、キーボードを叩く。

 

まさか綺麗に並ぶパールの飾りが日の目を見るのが、祖父の葬儀のときだなんて思いもしなかった。

従兄弟や叔父さんはもう青森にいるらしい。わたしが来るのはいつかと妹に訊いたそうだ。祖父不孝な孫だと思われたかな。

 

帰省するっていうのに、アホみたいに買い物かごに食材を放り込んだせいで、悪くする前に食べなければという焦燥感に駆られ、遅番終わりにはめずらしく料理をした。

そうはいっても簡単にパパッと作れる時短料理だ。ブログを書きながら炊飯完了の通知音が鳴るのを待って、かっこんで準備をして、眠ろう。

 

そういえばchelmicoILMARIの対談でのchelmicoの態度に無性に腹が立った。コメント欄に並ぶ「若いな」の文字。

若いというだけで片付けていいものかと思いながら、chelmico結成のエピソードに耳を傾ける。RIP SLYMEが結成を促す大きな所以であるとすれば、やっぱりその態度はいけないんじゃないのと思いながら。

ふうん。レイチェルは25歳で真海ちゃんは22歳なんだ。

好きだからこそ、その態度はなんだか見ていられなかった。とは言いつつも最後までYouTubeを消さずに見入ってしまったことも悔しい。

 

隣県にいながら、すぐには帰省せずに、葬儀の日程に合わせて帰ってくるというのも、生意気に見えるのだろうか。「若いから」という言葉で片付けられるのであれば不本意だけれど、忌み嫌ったchelmicoの態度と同じようなことをしているんじゃないかという自分の内なる声に耳を傾けられる程大人ではないのかもしれない。

仕事がどうとか、距離がどうなんて理由をつけて、「わたしだって大人になってわたしの生活があるから、すぐには動けないよ。大人として他で求められているそれなりの行動や責任がある。」なんて逃げている気がする。

 

本当は少し、現実を見るのがまだ怖くて、だから帰省を早めることに僅かながらの抵抗があったのだけれど、それでいてもう既に集まっていろいろな話をしているであろう親族のなかに後から入っていくことにほんのわずかな抵抗感がある。

うだうだ言っていられないので、明日からの準備をしなければ。

仕事もあらかた目処をつけて進めなくちゃ。

 

まだわたしのところに来ていないような気がするんだけれど、見放されてしまったかな。